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読後感}

 田子亜木子・中野尚彦著「育児日記が語る赤ちゃん心理学Ⅰ」に寄せて

 中野氏が一足先に結婚生活に入ったので、西武線沿線のアパートを訪ね、その一室で囲碁に興じていた時代のことである。ヒタヒタと忍び寄る音に耳を澄ませていると、障子の陰から可愛い顔がのぞいた。両肘で精一杯支えて顔を上げる。その表情が何とも愛くるしく、私は思わず「オッ」と声を上げた。この出会い頭の張本人が、三菜子ちゃん、亜木子ちゃん、広介ちゃんのいずれであったか、トンと思い出せない。皆一様に可愛いかったので、中野氏赤ちゃん一族の誰かということでお許しを請う。
 さて、私の間投詞に即座に反応した赤ちゃんは、一呼吸おいて、ケタケタと笑った。今度は急旋回して、ドタドタと弾むように這い去った。
 おそらく、思いがけない事の顛末を、とりあえず別室のお母様に報告したかったのではないか?。 
 しばらく間があって、再び障子の陰からヒタヒタと音がする。流石に今度は予測ずみである。赤ちゃんがソッと顔を覘かせた瞬間に「オッ」と発声してみた。ところが、成り行きを予測していたのは私だけではなかった。期待した通りの成果を得て、してやったりという風に、赤ちゃんはケタケタと笑い、這い去った。
 もともと感嘆の余り、思わず「アッ」と発声したのに過ぎない。ところが、赤ちゃんは、「ヒタヒタ」→「ソッと覘く」→「オッ」→「ケタケタ」→「ドタドタ」→(お母さんへの結果報告?)の長い連鎖を産み出し、循環可能な遊びに仕立てあげてくれたのだった。お蔭で、しばし楽しい遊びに没頭したことを、いま懐かしく思い出す。

 さて、その赤ちゃん一族のひとり、亜木子ちゃんは、亜木子さんになり、亜木子氏となって、今私の前に表れた。本書の著者の一人、田子亜木子氏である。
 頂いた著書の頁をめくりながら、私は、再び「オッ」と声を上げ続けた。

 回顧録のついでに、かつて中野氏に勧められた「ドラゴンクェスト」への傾倒ぶりを記してみたい。ドラクエⅠでは、少年の勇者が、さらわれた姫の救出のために冒険の旅に発つ。
 荒野を逍遥しつつ、そこで呪文(呪術的なコトバ)を覚え、防具や薬草も手に入れ、状況に適した多様な道具を使いこなして難局を切り抜けていく。シンプルな設定ではあるが、当時はこのゲームにはまり、画面をコピー、貼り合わせて広域地図を作り、BGMに心酔してCDを買い集めた。気がつけば、自分も勇者と共に「謎解き」に奔走する日々を過ごしていた。

 さて、本書に還る。
 ドラクエの荒野に立つ勇者は、今冒険の旅に発つ。先掲赤ちゃんは障子から覘いた。
 ところで、この勇者や赤ちゃんが、この世に生を受け荒野に両足で立つ、あるいは障子の陰からソッと顔をのぞかせる、その遙か以前に、一体どれほどの無言の冒険が繰り返されたことだろうか?。
 そして、その冒険の系譜(ものがたり)は、現在とどのように繋がっているのだろうか。さらに広く、人は何を求めて行動を起こすのだろうか。
 本書は、その謎に応えるべく届けられた素晴らしい贈り物である。

 人は、何のために、いつ頃、どのようにして、外界を見つめ、それに触れ、扱いだすのだろうか? 
 人は、何のために、いつ頃、どのようにして、座り、這い、立ち上がり、歩き出すのだろうか?。 
 人は、何のために、いつ頃、どのようにして、コトバを操るようになるのだろうか?

 亜木子氏は、心理学者でも教育者でもない。赤ちゃんの全生活に添い、全てに対応を求められる存在である。じっと見ているだけで済ますことの出来ない事態の最中におかれていたはずである。静的、中性的な観察ではなく、赤ちゃんと共に生きる亜木子氏が創りだした謎解きの道程は、育児日記という範疇を遙かに超えている。  
 ここに、貴重な「ものがたり」が誕生するところとなった。
 私は、亜木子氏のまなざしの確かさに驚き、謎解きの面白さを共有させて貰いながら、これまでの自分の皮相な知識に恥じ入るばかりであった。

 本書の内容にこれ以上立ち入るのは、推理小説の結末を漏らすのに似ているので、敢えて控える。
 本書に触れた読者は、赤ちゃんは勿論のこと、例えば、障碍児教育の領域等で、一見すると分かりにくく、時には一方的に消去や改善の対象になりやすい行動の一つ一つが、実は、素晴らしい意味を秘めていることに気づくための絶好の機会に恵まれるのに違いない。

 本書の後半では、父、尚彦氏が、亜木子氏の日記を丁寧に反芻しながら、赤ちゃんの内に秘められた思いを代弁してみせ、「ものがたり」に裏打ちが施されて、一層の厚みがもたらされている。
 お二人は、ともすれば断片と化しやすい「ことば」を紡いで見事な「ものがたり」を編み出し、逆に、その「ものがたり」の行路上に位置づけられた「ことば」の断片に再び輝きを与えている。
 赤ちゃんの辿る道筋は、ただ一つである。だから赤ちゃんの辿る道筋に多様性が認められる・・・。本書は、そのことを、すんなりと肯かせてくれるものである。
 亜木子氏の紙背からは、よき伴侶のこと、亜木子氏と同じ路を歩いた先輩でもある両親のこと、同年配の友人の赤ちゃん等々に対する気配りが垣間見られ、本書に一層の深みと幅がもたらされている。
 本書は、才覚に恵まれた父子の共著ではあるが、全編を覆う亜木子氏の見事な挿絵は、父を遙かに凌駕している。それらは、状況、動き、表情を鮮やかに描き出し、赤ちゃんが何か言いたげに見えるのが不思議である。「絵は文ほどにものを言い」ということだろうか。試しに、亜木子氏のホームページ A's Gallary を覘くことをお勧めする。
            2016.2.1 木村允彦
      
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